生きることは働くこと
祈るために、仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。
(マザーテレサ)
仕事と思うな、人生と思え
(原田隆史)
仕事をしていると、時々不条理なことに出会います。
でもすべてをひっくるめて受け入れそして乗り越えていきたいです。
そんなこんなで私は毎日書いています。書いていることが祈りであり、人生だから。
祈るために、仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。
(マザーテレサ)
仕事と思うな、人生と思え
(原田隆史)
仕事をしていると、時々不条理なことに出会います。
でもすべてをひっくるめて受け入れそして乗り越えていきたいです。
そんなこんなで私は毎日書いています。書いていることが祈りであり、人生だから。
この世に無意味なものなどはない。
(ワイルド(イギリスの作家さん))
秘書のたまちゃんなどは、私をだいぶ知ってしまったので「なるほど」とか「そうだったのか」とか、ひとりうなずいていることも多くなりました。私は一見直情的で感情のおもむくがままにいろんなことをしでかしているように見えるようでいて、その裏では将棋の百手詰めみたいなことをやらかしていたりすることもありますけど、近くにいる人にはそのからくりが見えてくるみたいですね。まあ時に、感情的になにかをしていることもありますけどね(拙著「別れても、バカな人」参照)。
ですから意味のない行動というのはあまりしていないかもしれません。忙しいですから、無意味なことはむしろしないようにしています。本音はとってもクールです。私が何かパフォーマンスをしているときは、実は、何か真の目的があるのかもしれません。このあいだとあるインタビュアーが「内藤さんは面白そうなことをたくさんしゃべったけれど、とうとう本音を聞き出せなかった気がする」とぼやいていました。実際胸の奥の一番熱い部分は、よほどのことがないかぎりお見せしていないかもしれません。
悪い人間に親切をすると
二度ひどい目にあう。
金を失って、
しかも感謝されない。
(テオグニス(ギリシャの詩人))
これを秘書のちゃむに見せたら、ものすごく笑われました(≧∇≦;
ええ、どうせ私は、オカネの使い方を間違ってますよ・・・。
ええ、どうせどうせ・・・(≧∇≦)シクシク・・・。
食べ物や
着るものがないから
貧しい
という人は、
世界中にたくさんいます。
けれど、
もっと数多く、
もっと惨めなのは、
自分が誰からも
愛されていない、
必要とされていないと
思う貧しさです。
どうぞ、
みなさんの周りにいる
貧しい人々のことを
思い出してください。
(マザーテレサ)
汝、小さき者よ。
不幸なそして同時に幸福なお前達の父と母との祝福を胸をひめて人の世の旅に登れ。
前途は遠い。
そして暗い。
ただし恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。
(有島武郎(作家))
苦悩も悲しみも、仕事の喜びの前では何でもない。
(ブウルデル)
なにがあっても私には、書くことしかできないんです。
でも私はこの状態を幸せに思うことが、多いんです。
君は僕のことを書くために
僕と一緒にいたのだろう
東郷青児
宇野千代さんの代表作「色ざんげ」は、当時の恋人東郷青児さんの半生を綴ったものだと言われています。そのとき東郷さんはこうおっしゃったのだそうです。
私も似たようなことをよく言われます。
男性であれ女性であれ。
「私のことを書くんでしょ」
と言われたことがあります。
でもそう言われる人のことほど書いたことはあまりないです。
「私のことを書いてください」
とあちらから迫ってくることも年に何度もあります。
そういう人のことを書いたことは一度もありません。
思うんですけど、
自分ですごい人生だと思っている人ほど、
作品としては成立しないんじゃないんでしょうか。
ドラマのような人生イコール、
小説になるような人生ではないんです。
私は「ドラマティックなストーリー」を書きたいんじゃないんです。
本当のドラマってそれはとってもシンプルなことなんじゃないんでしょうか。
書き手である私自身が心を揺さぶられなければ、絶対に小説なんて書けません。
私はドキュメンタリー作家じゃないんですけど、
ひとびとはよく、
「ほらすごいでしょ」
「ほらこのことを書けばいいじゃないの」
といろいろ差し出してくれます。
それはありがたいのですけど、
自分で素材を探してくることが、悦びのひとつだったりするので、
あんまりそこからインスピレーションを得ることは、ありません。
料理の材料と同じです。
素材を見つけて、なんだかおいしそうと思って手にとって、
充分に全体を眺めて吟味して、一口かじってみて、
いけると思ったら、むしゃむしゃ食べてしまいます。
おっと話がそれました。
宇野さんは、きっと、東郷さんのことがとっても好きだったのでしょう。
だから書かずにいられなかったんでしょう。
多分、ただそれだけ。シンプルに「大好き☆」だっただけでしょう。
作品に書き手が惚れ込んでこそ、真実の作品ができるんだと思います。
男として好きだったのか、
モデルとして好きだったのか、
それは、わかりません。
でも、好きだな〜って思ったから書いたんじゃないんですかね。
宇野千代さんのことだもの。
画家であった東郷さんの描いた作品に、宇野千代さんがモデルといわれる「黒い手袋」があります。
宇野さんの「大好き☆」に東郷さんが「僕も好きだよ☆」と永遠にこたえてくれたら、
すごく素敵なハーモニーができた気がします。
ふたりはその循環がうまくいきませんでした。
だから、結局東郷さんがモトカノとヨリを戻して、二人の愛は終わりました。
なんだかかなり残念です。
でもいいか。一往復は、できたんだもんね。
なんちゅーか、うらやましいのよ。
私も誰かと作品を交換してみたいなー。
「(≧∇≦)/ほぉら☆」って投げたら「やったなー、よぉし!」みたいに返ってくるような。そーんな楽しそうな恋愛ってしたことないかも!?
あなたは気づいているんでしょう?
人間には生き残る人間と
死ななきゃわからない人間と
目覚めれば生き残ることができる人間と
この3種類しかいないってこと
(某友達のサイキッカー)
私って妙にサイキッカーと意気投合するらしく、
今日もサイキッカーに「友達を見つけた」という風に言われました。
……チャクラでも開いてるんだろか(≧∇≦;
目覚めるとか「思い出す」とか使命に気づくとかいろいろ言い方はあるでしょうけど。
生まれてくる意味がわかったら、うれしいですよね。そんなことを喋ってきました。
「目覚める」と服装が変わるらしいです。「気づく」というか。
自分が人生で何をしたらいいのかわかってくると、読む本の種類も変わるらしい。
それはそういうニューエイジとかスピリチュアルとかそういうたぐいの本を読むようになるというわけではなく、自分の人生にとって大事な本がわかるようになるという。
なんか最近趣味が変わったな? とか思ったら。
ひょっとしたらあなたが「目覚めてきた」証拠なのかもしれないですぞ!?