いまさらながらコミック版「いま、会いにゆきます」を読んだ。
ラストにそうだったのか!と感涙。
パニック障害を持つ主人公の男と、死んでしまった妻の物語。
原作の市川拓司さんは19歳のときからパニックになり、現在も症状があるという。
だけどこのストーリーの中では恋人はそんな彼を嫌いにならず、それでも好き、ずっとそばにいたい、と言ってくれた。
それがあまりにもうらやましくて、そこで泣いたので、ラストであまり泣けなかった。
病気になってかえって絆が深まる愛もあることだろう。
けれど、病気になると、溝がいっそう深まるケースもある。
苦難を共にできるカップルになれなかった私とモトダンには、いったい何の欠陥があったのだろう。
身体的欠陥よりも愛情的欠陥があったに違いないのだ。
若かったからとかそれだけでは済まされないなにかがあった。
どうして協力しあうということができなかったのだろう。
……どうして?
今では「サイン」だったのだと思うことにしてはいるのだけれど。
仲が冷えるたびに「あなた、それは本当の愛の相手ではありませんよ」と何ものかに教えられているのだろうとそう思うようにしていたのだけれど。
改めて真実愛し合っている二人、というのを突きつけられると、自分はどうして安直におつきあいをしてしまったのだろう、と考え込む。二人の可愛い子どもができたから、もうそれはそれで充分だとは思うのだけれど。あまりにも大きな代償を背負った私。その業は作家としてはとてもいいネタかもしれないけれど、一般的な人生として他と比較するとあまりにも惨めだ。真実愛し合うふたりという姿には、時として惨めな自分を思い知らされる。
いま、会いにゆきます
ここまで書いたあとで石井ゆかりさんの今週の水瓶座を読みに行きました。
まるで今の哀しみにアドバイスをくれたような文章にびびりました(≧∇≦:怖いってば。
努力すれば何でも望みが叶うか
といえば、そうとも言い切れない部分も、人生には確かにあります。
でも、
「必死に努力しているけど、努力の方向性がちょっとずれている人」っていうの、
水瓶座の貴方なら、たくさん見かけたことがあるのではないでしょうか。
自己主張すべき時なのに、ひたすらガマンする人、必死に自分を責める人。
泳がなきゃおぼれるのに、走り出そうとする人。飛ぼうとする人。
ふひい(≧∇≦;
今考えていたことと共鳴している……。
でも今はわりといい運気だからそんなに深く落ち込む必要はなさそうです。
いつもありがとう、ゆかりさん!