06/08/2004

子どもにネットのルールを。


将来の夢「小説家」……。
カッターで首を切られてなくなった御手洗怜美さんが、文集に、そう書いてらしたそうです。

ネットにいる小説家として、なんともいえない気持ちになりました……。

まだ誰もちゃんと子ども達に教えていない気がするんです。
ご近所の人とのお付き合いのしかたは教えてます。
「こんにちは」「おはようございます」「いってきます」
そんな言葉も教えられます。

だけど。

ネットで知り合った人とのお付き合いのしかた。
誰かが教えているだろうか。まだあまりそういうことをしていないのではないかと思います。

ネットの世界は独特で、一時は大のオトナまで「ネットバトル」と称して本気で罵りあったりすることもありました。オトナですら逆上する「重箱の隅をつつくような」「揚げ足をとるような」そんな状況があったことも事実だし、ネットのどこかでは今日もそんなバトルが繰り広げられているかもしれません。

たとえ顔見知りでも、ネット上で「活字」となって表現されると、必要以上に傷つくということ、他の皆にも悪口が読まれるということ。これらは私たちが子ども世代の時には考えられない傷を生んでいることは確かです。もし私が子どもだったら相当傷ついてると思います。交換日記で悪口書かれただけで結構キましたもん。

「こんなこと書かれたら傷ついちゃうよ」
「こんな表現はやめようね」
「他のみんなにも読まれちゃうんだよ。書かれていやだなあって相手が思うことは、やめようね」

こういうこと、誰かが教えるべきなんじゃないかしら。

本来親がやるべきで、うちは私がやってます。今、息子はヤフーゲームの「プロキシー」や「オセロ」に夢中なのでその合間にチャットで話しかけられたりしますから、
「こんなこと言われちゃったね」
「どうやってお返事していこうか?」
などなど、その時の対応を一緒にやりつつ教えています。

それでも「絶対ウチの子はよそさまのお子さんを傷つけない」なんて保障はないです。時にとっくみあいのケンカとかもするらしいし……。でもやれることはやっておきたい、教えられることは教えておきたいというのは親心として、持ってます。

息子は変なあだなをつけられて悩んだこともあります。
子どもってほんとうに小さなことをうんと気に病むんです。
やっぱりすごくコトバって傷ついてしまう。だけど傷ついたら復讐していいかというとそれは違う。そういうことも伝えていきたいです。
「いやなことを言われてイヤな気持ちになって落ち込んだら、それこそ時間がもったいないんだよ。お前は、気にせず楽しく生きていきなさい。お前が楽しく過ごすこと。それが一番なんだよ。気にするから相手も面白がるんだ。気にしないことが一番なんだよ」
なんどもそう言いきかせています。あんまり度が過ぎたらもちろん親としていろいろ対応は考えるけど、大したことでない時には「悪口言われても、あまり深く気にしないで生きていく方法」を身につけることも絶対必要だと思います。

だけど我々世代ではまだ「チャット」「ネット」を体験していない親も大勢いるので教えることが不可能なケースも多々あったりします。

なので、そういう親のためにもできれば多少なりともネットコミュニケーションの知識をもった教師が道徳の授業にでもクラスの子ども達に緊急連絡として、教えてほしい気がします。

もう12歳ともなると、なかなか親に悩み相談できるトシでもありません。スクールカウンセラーのようにネットカウンセラーやネットコミュニケーション110番のような存在が必要な気がしています。


心の底よりご冥福をお祈りいたします。

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06/07/2004

自殺から他殺の時代へ。

佐世保カッター殺人の犠牲者御手洗怜美さんのお父さんの手記が発表されました。

もう、ぽろぽろ泣きました。

奥さんも亡くし、お子さんも亡くし、なんて励ましたらいいのかもわからないです。

ただ思ったこと。
子どもが毎日、バタバタ生きている私のまわりを跳ね回っていて、いつもうるさいよなんて怒鳴りつけて、母子家庭なのをいいことに「さっさとオフロ洗っていれてくれなきゃ入れないじゃないよ、何時だと思ってるのよ」とコキつかい……。娘も自分でこぼした食べ物は自分で後始末やふきそうじをさせ……。

……でもほんとのところは。
子どもがわあわあ騒いで家中をひっかきまわしている。
そのことがとっても幸せなんだということ。
私は今、自分のこどもたちをうんと愛して、彼らの魂をうんとうんと幸せでいっぱいにしてあげたいってこと。

それを、とっても感じました。
御手洗さんのお父さんは新聞社の支局長だそうです。
大変な忙しさのなか、父子家庭としてお子さんのお世話、ほんとうにどんなにか大変だったことと思います。
でもその大変さがきっととっても生き甲斐だったのに。
なんだかもう、もらい泣きしちゃいました。
どうしてこの幸せが奪われなくちゃならなかったんでしょう。

どこぞの国では学校に行くと銃の乱射などがあって恐ろしいからということで、お金持ちのご子息はみなさん家庭教師やインターネットによるホームスクールで学習するようになってきているといいます。日本でもホームスクールが急増しているようですがこれは不登校が原因であるのがほとんどでしょうけれど。これからは「子どもを殺されないために」学校に行かせない親が出てきてもおかしくないかもしれません。


「学校に殺される」というような遺書を書いて、子ども達が自殺していった時代がありました。1985年から1986年にかけて。そう、岡田有希子が自殺したあの自殺連鎖の時代です。尾崎豊の「卒業」が売れていたあの頃です。

あの頃は学校による圧迫感がいやでいやで、かといって不登校になりたくともフリースクールも充実しておらず、死ぬしかなかった子ども達が大勢いました。

「花を飾ってくださるのなら」(尾山奈々著・保坂展人編)
という本を読んだそのときは私は中3で、これが初めて買った千円以上の本でした。そう私も尾崎大好きで学校がダイキライな女の子だったのです。この本は中3の彼女が自殺するまでを綴った学校教育への恨みつらみの日記でした。自殺こそが彼女達の最大の抵抗でした。

でも。
今の学校はあの頃より明らかに違ってきています。
うまく口にだせないような不気味さが明らかにあります。
作家の私ですらうまく書けないようなブキミさが……。
自殺ではなく他殺の時代になっていることの恐怖を、ひしひしと感じます。
人を殺すということで、子ども達は何を訴えようとしているのでしょうか。
私も正直「うちの子は絶対、人を殺さない」なんて断言できないんです。ほんと、どうしたらいいのかなって、最近毎日考えます。ママはママなりに真剣にオシゴトしていくしかないです。結局は。

花を飾ってくださるのなら—奈々十五歳の遺書

尾山 奈々 , 保坂 展人


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