嵐の中を歩いた足跡
私のアートは、嵐の中を歩いた足跡みたいなもの、
そのときそういう歩きかたをしなくてはならなかったから—。
(オノヨーコ「ただの私」紹介文より)
もーひたすら「そのとおり!」と叫びたくなる私です。
私の小説も、エッセイも私にとっては、そんな感じなのだと思うので。。。
この本を読むといつも元気づけられます(≧∇≦)
私のアートは、嵐の中を歩いた足跡みたいなもの、
そのときそういう歩きかたをしなくてはならなかったから—。
(オノヨーコ「ただの私」紹介文より)
もーひたすら「そのとおり!」と叫びたくなる私です。
私の小説も、エッセイも私にとっては、そんな感じなのだと思うので。。。
この本を読むといつも元気づけられます(≧∇≦)
オノヨーコさんがジョンレノンと交際する前の年にジョンレノンで「スマイル」という作品を作りました。画面の中は、ジョンレノンのアップだけ。
レノンが微笑するのを超スローモーションで50分くらいかけて上映する映画なのです。
私も実際、美術館でそれを見ました(すいません・・全編通してみることはしなかったですけど)。
私はあの作品をどうして撮ったのかよくわかんなかったんですけど、最近わかりました。オノヨーコさんが、出会ったばかりのジョンレノンのイメージを「かわいそうな人だ」と思っていたらしいからです。
“やりたいこともできず、かわいそうなひと”
そう思っていたんですって。
すでにスーパーヒーローで大金持ちの彼を、うらやんだり尊敬する人こそいれ「かわいそう」なんて思うのは、オノさんだけだったんじゃないんでしょうかね。レノンはとても多彩な人で、イラストも描くし、本も出版してるし、そのほかいろいろやりたいことがある人だったのですが、ビートルズという枠にぎちぎちになっていて身動きが取れなくなっていた。
だからオノさんはレノンを励ましたくて「スマイル」を撮ったのかもしれません。「本当の笑顔」を忘れているレノンに「笑ってよ」と。「心の底から、笑ってよ」と……。
ご存じオノさんのアートには命令形が多いのです。「〜しなさい。」というコトバが頻繁にでてきます。だから「スマイル」も「笑顔」という意味ではなく、「笑いなさい。」という意味だったのではないでしょうか。そしてその命令は、レノンの、というか、レノンの魂に向けて放たれたコトバだったんでしょう。
確かにレノンを主人公に作品を作ったら、世間的には大変に話題になるし、オノさんとしても名をあげるためにとても素晴らしい題材だったかもしれません。だけど、多分、全然オノさんは、そんなこと、考えてなかったんでしょうね。7歳下の、妻も子もいるレノンに対して、オノさんは多分、恋をしてしまっていて、そして、芸術家らしく、彼女なりに気持ちを表現した。それが「スマイル」だったのだと思います。
なんかそれに気づいたら、オノさんのことがとってもとっても可愛らしく思えてしまって、心がじんわり温かくなってしまいました。
よく笑うからといって幸せなわけではなく、その笑顔が、作り物であったり、無理していたりするものだってあるわけです。オノさんはとても感覚が鋭い方だったから、レノンを見て「この人、ホントに笑ってないな」ってわかったんでしょう。そしてそのことを言葉で説明するのではなく作品に仕上げちゃってるとこが、なんかとんでもなくスゴイと思います。
この世には、笑っていても「本当に笑っていない人」がたくさんいます。そういう人のために、私だったらなにができるんだろうな。って、ふと、考えてしまいました。
昼間は童貞のごとく、
夜は種馬のごとく。
オノヨーコ
オノヨーコさんの「ただの私(あたし)」を読みました。
目次を見て、この素晴らしきお言葉を見つけた途端、うっとりしました。
これこそ、私の、理想です(≧∇≦)ハアハア!
オノヨーコさんをますます尊敬した昼下がりなのでした……。
私は雲。
空にいる私を
さがしてちょうだい
オノヨーコ
先日の追記です。
気になって調べたところ、ジョンレノンの伝記では、オノヨーコの手紙がこんな風に翻訳されていました。
どっちがほんとなんでしょ? 原文をみないとわかりませんね。
でも確かなこと。
それは「空」の存在を伝えたかった、ということですね。
空を見なさい。
あなたが最初に目にした雲は、
私が見たのと同じ雲です。
オノ・ヨーコ
これはオノヨーコがインドにいるジョンレノンに向かって書いたお手紙です。
これ……あんまりよくわからなかった。
だけど最近わかるようになりました。
インスピレーションってのは、空(天)から降りてくるものです。
私達アーティストはよく「降りてきてる」という言葉を使います。
つらい状況の中にいると、ついつい人は下を向いてしまいます。
空を見る心の余裕を忘れてしまうのです。
ジョンレノンもインドで決して楽しい時間を過ごしていたわけではなかったそうです。
自然は偉大です。
美しい夕焼けは、アーティストが手がけたわけでもないのに素晴らしい作品です。
オノヨーコさんはそういうことをとても敏感に感じ取っていたからこそ、この言葉を産み出せたのでしょうね。
この人の言葉には実は、いつもいつも深い意味が隠れているので、私は何度も読み返してしまいます。
いま、つらい思いをしている方がいるとしたら、
空をぜひ見上げてもらいたいです。
そこには未来もいさぎよさもそれから美しい感性も広がっているから。
つい最近、サイキッカーに「あなたは雲を見つけるだろう」と言われました。
この言葉には実は、続きがありました。
「あなたはきっとこの雲の画像を誰かに見せたくなるでしょう。そしてそのとき、何かに気がつくでしょう」
さっぱりわけがわからなかったけど。
このオノヨーコさんの言葉を突然思い出して
「ひえー」
とか、最近になって驚いている私なのでした。
「私たちはもともと半分なのだ」
オノ・ヨーコ
オノヨーコ展やっと最終日に行ってこれました。
前々からよく知っているたくさんの作品を間近で見ることができて、ものすごく感動してしまいました。
オノヨーコは難解だという人がいるのですが、私からすればどうして? という感じです。こんなにシンプルに世の中への疑問を問いかけることができているのに?
周囲から見るととても突飛な行動をしているように見えるらしい、オノヨーコさんですが、私から見れば「闘っている人」です。たくさんの物事から逃げずに真っ直ぐ前を向いて自分のやりたいことをやり通すチカラを持っている。それをアートにまで高めている。……カッコよすぎです。
部屋の中のものすべてを半分に叩き割って、真っ白に塗りたくった作品があります。椅子もヤカンもトランクもまっぷたつ。誰かがオノヨーコさんに「人間も半分に割ったらどう?」と問いかけた時にオノヨーコさんは、
「私たちはもともと半分なのです」
とお答えになったのだそうです。
……カッコよすぎです(≧∇≦)☆
そしてオノさんは見事に自分の魂のもう半分を見つけたのでした。
そう、ジョンレノンです。
……あまりにもカッコよすぎます。
この<半分の部屋>という作品は彼女がジョンレノンに出会った翌年に発表されました。ジョンレノンはこの作品展のスポンサーとしてお金を援助しているし「空気瓶」という彼女との共作オブジェも展示しています。実はこの作品は、魂のもう半分であるジョンレノンにあてての彼女のラブメッセージだったかもしれないという話です。
……あまりにもカッコよすぎて、作品解説を読んで「まいりました」という感じでした。
<追記です!>
気になって家にある本で、調べてみました。
やっぱり! オノさんは「自分の半身であるジョンを必死になって見つけた」と語っておられます。
そしてどうやらやはりこの「半分の部屋」という作品はジョンレノンにあてたもの、というより、これは事実上ふたりの初めての共同作品だったそうです。
でも。
ジョンレノンは、スポンサーになったことも、自分がその作品に関わったことも、すべて内緒にしてもらいたがったのだそうです。だから共同作品の「エアボトルス」についても「ヨーコ&ジョン」と名前は出ていたけれど、それを見た誰もがまさかあの「ジョン・レノン」だとは思いもしなかった、当時二人がそこまで関わりが深いとは誰も思わなかったからだそうで……。
しかしオノヨーコは、結局パンフレットか何かで協力者としてジョンレノンの名前を出してしまい、ジョンレノンは困惑した、とのことです。
ビートルズの一員として勝手な行動ができなかったジョンレノンの立場もわかるけど、でも私はオノヨーコさんの気持ちがわかるなあ! だって、彼女にとってみれば「半分の部屋」はジョンレノンがいたからこそできた作品であるのだから、彼の名前がないことのほうが「不自然」だったのだから……。
もっと言ってしまえば「彼の名前が入らないと作品として完成しない」ということだったのだと思います。
YOKO ONO—オノ・ヨーコ 人と作品 飯村 隆彦 |