しかも感謝されないし。
悪い人間に親切をすると
二度ひどい目にあう。
金を失って、
しかも感謝されない。
(テオグニス(ギリシャの詩人))
これを秘書のちゃむに見せたら、ものすごく笑われました(≧∇≦;
ええ、どうせ私は、オカネの使い方を間違ってますよ・・・。
ええ、どうせどうせ・・・(≧∇≦)シクシク・・・。
悪い人間に親切をすると
二度ひどい目にあう。
金を失って、
しかも感謝されない。
(テオグニス(ギリシャの詩人))
これを秘書のちゃむに見せたら、ものすごく笑われました(≧∇≦;
ええ、どうせ私は、オカネの使い方を間違ってますよ・・・。
ええ、どうせどうせ・・・(≧∇≦)シクシク・・・。
消し去ることには勇気がいる。
でもそれを失わない限り、
本当に欲しいものはきっと、
いつまでたっても手に入らない。
(吉井春樹)
吉井さんの今日の詩「なぜ消し去ったのですか。」が、なんか、コワイ。全文はこちらからどうぞ。
でも新しい小説を書くためには、いったん以前のストーリーをリセットすることが、必要なんじゃないのかな。私が望むと望むまいと、作家はたんなる心象風景の語り部でしかない気がするので、ときどき必要なんですよ。クリアすることがね。
食べ物や
着るものがないから
貧しい
という人は、
世界中にたくさんいます。
けれど、
もっと数多く、
もっと惨めなのは、
自分が誰からも
愛されていない、
必要とされていないと
思う貧しさです。
どうぞ、
みなさんの周りにいる
貧しい人々のことを
思い出してください。
(マザーテレサ)
コミックス「DEATH NOTE」あまりにも面白くてついに8巻まで読み進めてしまいました。当然ですがヒーローの夜神月クンに萌えております(≧∇≦)ハアハア! 彼の背中からお尻にかけての線がいやらしすぎるッ! 誰でデッサンしたんですか小畑健サン〜!
で、このマンガに出てくるのは「死神」です。ほしいな死神の「デスノート」♪。
そしたら、このマンガ読んでたら手塚治虫さんの「ばるぼら」を思い出してしまいました。
ばるぼらは芸術の女神という設定なんですが、ホームレス同然ですごくだらしない女性です。でも、自分がイイと思った芸術家がいるとその人にくっついて傑作をつくらせます。でもとっても気まぐれで、飽きればすぐ他の芸術家のほうにいってしまいますが。
読めば読むほど思います。
「(≧∇≦)アア、私もばるぼらがほしい〜ッ!」
2005/9/26-10/2 みずがめ座の空模様。
石井ゆかりさんとは今週面白いシンクロがあって激しくメールをやりとりしてしまいました(≧∇≦)アリガト!
------------------------------------------------------------------------
素晴らしい追い風が吹いています。
貴方をサポートしようとする力が、とても強い時期です。
その力が強くて、強すぎて
貴方は何かを変えさせられようとしているようです。
今までキライだったモノが好きになったり
今まで好きだったモノがキライになったりするかもしれません。
好き嫌い
って、その状態にあるときは絶対的に思えますが
突然反転することがあります。
大好き!
なものも
大嫌い!
なものも、
そのものに非常に注目してしまう
そのものがとても気になってしまう
という点において、とてもよく似ています。
世の中には
「どうでもいい、関心がない」
というカテゴリが存在し、多くのモノはこのカテゴリにおさまるからです。
キライと好きが反転するとき
なにかがブレイクスルーしちゃうかもしれません。
好きだったモノの欠点を見つけて批判する
というようなことではなくて
本当に「感覚が変わる」ことがあるのです。
味覚のことを想像するとよくわかります。
ワインやビールを、子供は「マズイ」と思いますが
大人になってある瞬間
「美味しい」
と感じるようになる、その瞬間
街にたくさんあるレストランや飲み屋が輝いて見えてくるのと似ています。
今までは自分と関係なかったそれらの場所が
「自分に関わりあるモノ」
と感じられるようになるのに、似ています。
(ここまで)
(ここからはナイトーのぼやき)
こないだね、マザーテレサの名言ですごくそれに近いコトバを見つけていたところでした。
憎しみは愛に変わる可能性があります。
無関心は愛には絶対変わらない。
愛の反対語は『無関心』なのです。
(マザーテレサ)
そうなんですよ。「殺したい」とか「恨んでやる〜」とか「憎い〜」とかそういう強いマイナスの感情って、結局は好意の裏返しだと私は思っています。小説家ってのはしばしばこうしたマイナスの感情に注目し、それを大きく広げてストーリーを練ったりしますので、マイナスの感情が「悪」だとは思っていません。むしろ時によって大きく反転し、プラスのエネルギーになると私もゆかりさん同様考えているのです。好きであれキライであれ、関心・好奇心・興味がなくなってしまったときこそ、関係が終わる時なのでしょう。
殺したいと思うほどのエネルギーはすごいことだと思う。
ジャンプコミックスの「death note」。
このマンガは「殺したい人の名前を書けば殺人できてしまうデスノート」の存在によって次々に殺人犯などの犯罪者が消されていく。
(≧∇≦)ウーン……
そんなノートがあったらみんな、いったい誰の名前を書くんだろう(恐)。
中学生の頃、八木重吉さんのたった1行の詩を読んで震撼としたことがあります。
「人を殺すような詩はないか」
ただそれだけのコトバでした。
殺すことまでできるかわかりませんが、私もコトバ(詩)というのは、凶器にはなりうるものだと思っています。自分は作家だから多少はコトバをあやつることができる。だけどできることならあまり人を傷つけないように、使い方を気をつけている……つもりです(≧∇≦;
汝、小さき者よ。
不幸なそして同時に幸福なお前達の父と母との祝福を胸をひめて人の世の旅に登れ。
前途は遠い。
そして暗い。
ただし恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。
(有島武郎(作家))
苦悩も悲しみも、仕事の喜びの前では何でもない。
(ブウルデル)
なにがあっても私には、書くことしかできないんです。
でも私はこの状態を幸せに思うことが、多いんです。
いつもスーパーお元気さまのひとみgo!ちゃんが
「今のみかぽんにぴったりの曲がある。あたしが子守歌でうたってあげる」
と教えてくれた。
杏里さんの「砂浜」という曲。
ときどき運命を恨んだりもしたくなるけど、でも、あたし個人の運命なんて、海のでっかさにくらべたらちっぽけなもんさ。そう思える歌だった。ありがとうひとみちゃん(≧∇≦)☆
明日からはまた笑顔で会いましょう(≧∇≦)/〜
2005/9/19-9/25 みずがめ座の空模様。
text by 石井ゆかりさま。(いつもありがとう(≧∇≦)☆)
------------------------------------------------------------------------
素直な愛
とは
率直な好き嫌い
とも言い換えられます。
このところの水瓶座を取り巻く環境は
お世辞にも
「スムースでオキラク!」
とは言えないシロモノだとおもいます。
(≧∇≦)よくわかりますねえ〜
でも
そんな複雑な状況の中で
貴方の頭の中までフクザツにしてしまう必要はほとんどありません。
水瓶座はたいていの場合
「ふしぎちゃん」
だと思われています。
よくもわるくもどこか
「何考えてるか、わかんないね」
と言われています。
(≧∇≦)私の頭の中は、こんなに単純なのになあ。
べつにそのことは、悪いことではぜんぜんありません。
貴方にとってはおそらく
「アイツ見たまんまですげーわかりやすいよね」
「頭ん中、つつぬけだよね」
っていわれるほうが
むかつくだろうと思います。
(≧∇≦)まあ、おてんばちゃんですからね。なにしでかすかわかんないと思われてしまうことが多いですね〜。
どうせ「何考えてるか解らない」とおもわれているなら
それを逆に利用してしまう方がいいとおもうんです。
今の貴方の最大の武器は冒頭に述べた
「素直な愛」
「率直な好き嫌い」
「傍若無人な独断と偏見(主に感情による)」
です。
(≧∇≦)つまり独断と偏見によってイケメンばかりをひいきしてる、と!(爆笑)
要するに
貴方の心が「ウン」といえばそっち
貴方の心が「ヤダ」といえばそっちに
動いていけばいいのだと思います。
(≧∇≦)イイ!と思ったらイけばいいんですね!
間違っても
「論理的にどうすべきか」
などという観点で
「嫌なことを、イヤイヤやる」
という方向には進まない方がよいと思います。
(≧∇≦)なんかちょうどそういうことをさっき、考えていました。
もともと、心がものすごく美しい貴方なのです。
貴方の心の声に従って、周囲がメイワクを被ることは
ほとんどないのです。
(≧∇≦)素直にイケメンが好きだと言ってるつもりなんですけどねえ・・・
私にピアノは弾けないけれど、
耳にきれいに響くコトバを見つけてくることはできます。
私はきれいに笑えないかもしれないけれど、
クスッと笑ってもらえるフレーズを探してくることはできます。
私の料理はあんまりおいしくないかもしれないけれど、
お腹ではなく心を温かくするお話を書くことはできるかもしれません。
私はたいしてなにもできないひとです。
でもきっと。
私にもできることがある。
私なりに、私なりのことを・・・。
よのなかは
広いようでほんとうは
とても簡単なこと
なのかもしれないよ
携帯電話の11ケタの数字。
誰もが持ってる、その人だけのナンバー。
ねえ11個の数字を
てきとうに並べれば、
その番号はもしかしたら
あなたのところにつながっているのかもしれない
この数字のどれかが
あなたへの暗号で
11個の数字をうまく揃えたら
私の声があなたに届く
たった11個の数字。
あなたにつながる、ひみつの・・・
わたしたちは
もしかしたらどこかで
つながっている。
最近お気に入りのサンウ主演の「同い年の家庭教師」はレンタルビデオ屋で今日もレンタルちうでした。
しかたがないので、この映画を観ました。なんかタイトル画像が似ていたからです。
「猟奇的な彼女」。
・・・知ってましたか? ソファに寝っ転がって映画を観ると、涙って、点滴みたいにぽったぽったとソファに落ちるんですよ・・・。
映画はこう言ってました。
「偶然とは、努力した人に運命が与えてくれる橋」
この映画を観ていた時に「偶然」とあるものが届けられました。
「ジョン・レノン スーパーライヴ」
すごく迷ったけど結局買ってしまった、チケット。
生きて動いて歌っているオノヨーコさんをどうしてもこの目で見たくて・・・。
ひとりで行くのはコワイから、イチオウ2枚買ってしまった。だけど一緒に行くひともまだ決まってないというか誰も誘ってない。きっと私はサンプラザ中野さんの「大きな玉ネギのしたで」みたいに、隣の席が空白のまま、武道館にいるんだろうな〜。
でもなんとなく偶然って、あなどれない、というか、偶然って、いたずらやさん(≧∇≦)☆
演劇マンガガラスの仮面で姫川亜弓さんが「恋する女」の心理や表情を研究するために、ワザと恋するフリをしていました。
さあ、作家さんはワザと恋をすることができるんでしょうか。
もちろん作品のために、ですけど。
でもいつもいつもそうかもしれない。
作品を書くために恋をしているのか
恋をしているから作品ができるのか。
時々よくわかんなくなります。
どっちにしても「あー、この人を好きになってみたいなー。そしたらすごいドラマティックなのになー」とはよく思います。だけど。だからといって、簡単に恋ってできないもんなんですよ。
簡単に恋に落ちることができたらどんなにラクかわかりません。
だってそしたら簡単に今まで好きだった人を忘れることができるから。
ちがうだれかを
すきになりたい
なんてつぶやいたじぶんは
つまりはまだまだ
あなたのことだけを
すきでいるということなのですね
それはもう
むかしのことです
そしてべつに
なにごともなかったかのように
あなたもそしてわたしも
いまを いきているのですから
だれかわすれられないひとが
いるんですね と
ほかのおとこのひとに
いわれてしまいました
ごめんなさい と
わたしはそのひとにあやまりました
こうしてなんども
こいというくるまにのりそびれて
ひとりであるいています
いままではそんなじぶんが
とてもきらいでした
あまえておもいでにすがっていて
とてもよわむしにおもっていました
どうしてつぎにいけないんでしょう
なんてばかなおんななのでしょう
だけどさいきんは
そんなじぶんをやっとみとめました
すきでいたいひとがいるのなら
すきでいれば いいのです
あなたがわたしをわすれても
わたしがあなたをただすきならば
それはもうすきでいるしかないのです いまは。
ちがうだれかを
すきになれませんでした
じぶんにうそを
つけませんでした
しかたないのです
いまはただもうすなおに
そんなじぶんをみとめてそしてただしぜんに
そのきもちだけはうそではないのですから
なにもしませんなにもしませんけど
むりにきもちをけそうとするのは
もう やめました
わたしはこれからもしばらくは
あなたのことをすきでいるでしょう
もしかしたらずっとずっといつまでも
すきでいるのかもしれません
ひょっとしたらいつまでもいつまでも
ひとりでいるのかもしれません
それはなんだかとてもさみしいことかもしれません
だけどそれでももういいやとさいきんは
おもうことにしたのです
だれもこころにいないよりも
ずっとさみしくないことなのですから
ちがうだれかを
すきになれませんでした
あなたにあえて
あなたをすきになれた
もうそれだけでいいのです
※韓国の人にもわかるようにひらがなだけで詩を書いてみました(≧∇≦)あは。
※このあいだ拙著「ひとつになりたいよ」(ポエムブック)を韓国のひとたちに見せていたら、カタカナもむずかしそうだったので。ひらがなだけで書いてみました。みもともと私はひらがな率は高いのですが、けっこう、新鮮でした(≧∇≦)☆
2005/9/12-9/18 みずがめ座の空模様。
text by石井ゆかりさま
------------------------------------------------------------------------
嫌なことを考えようと思えば、
いくらでも考えつくでしょう。
特に、今のように、
なんとなく家族のことや仲間のことがゴタゴタしているときなら
なおさらです。
イライラするようなことばかり目に付いてくると
もう、とまりません。
ですが本当は
水瓶座を取り巻く諸条件は
そんなに悪くないのです。
むしろ、
なにか突然の実入りがあったり、
大事なモノが手に入ったり、と、
なかなかうれしいこともありそうな時期なのです。
今週の水瓶座は、何かにぐーっと心を奪われてしまうと
「もうそればっかり!」
になってしまいそうな気がします。
でも、水瓶座は、その特別な才能を使えば
ちゃんとそこから自分で抜け出すことが出来ます。
つまりは
「他人は他人、自分は自分」です。
仲間だろうが家族だろうが、
所詮「自分以外の人間」なのです。
その人はその人なりに、
弱いなりにも戦っているのです。
戦っているとき、人は、余裕がなくなります。
それを、ゆるそうかどうしようか、なんてアタマを悩ませても
精神力の無駄遣いだったりします。
相手は、もう許せないことをしているのです。
非は完全に相手にあるのです。
それを、神様みたいに寛容に許せと言われても
ムリ
です。
ならばいっそのこと、頭の中から切り離してしまうのが手です。
相手が何かしら自分に対してとるべき態度がある
と思えば腹も立ちますが、
どうしようもないや
とほっぽり出せば、少し棚に上げられます。
よくよく考えれば、そいつが今何をしようと、
貴方に深刻な影響は及びません。
家族だろうが仲間だろうが、「他者」なのです。
そういうふうに切り離してみると、
意外と、貴方は自由になり
ちょっと優しくなれちゃったりするかもしれません。
ノーコメント(≧∇≦)! 今週は、ノーコメントとさせていただきますッ(≧∇≦;あにょはせよ〜(≧∇≦)/〜
いかさまに
昔結べる
契りにて
この世にかかる
中の隔てぞ
源氏物語・第7帖【紅葉賀】(歌の意味もここにあります)
きらさん作のマンガ「GENJI」にハマってます。
年上の藤壺の宮に恋をする若き美青年・光源氏(≧∇≦)ウットリ☆
藤壺さんは年上ゆえに、必死に気持ちを押さえているのですが、源氏の猛プッシュについに本音ぽろり。
(≧∇≦)ああ……。
(≧∇≦)イイ……ッ☆
あまりに藤壺さんがせつなくて、涙なしには読めません。
年下クンを好きになっても、年上サンはあんまり気持ちを素直に出せないんですよね。どうしてなのかな。よくわからないです。よくわかんないけどやっぱ「もっと若くて元気なおこさんをいっぱい産んでくれそうな人と一緒になったほうがアナタのためですわ」と身を引いちゃうのかもね。それって、結局は一種の動物的本能みたいなものなのかな。
わからないけど、でも、女って、若い頃って自分の幸せを第一に考えがちだけど、ある程度の経験を重ねると、自然と人の幸せのほうを優先するようになる気がする。そういう変化って、面白いなあと思う。
2005/9/5-9/11 みずがめ座の空模様。
text by石井ゆかりサマ(thanks!)
------------------------------------------------------------------------
学校で人間関係を作ったり、社会に出たりすると
家族への見方が変わることがあります。
恋人としっかり付き合って成長したとき
親についての理解が深まることがあります。
対外的な人間関係が出来ると
今までは「お母さん」「お父さん」でしかなかった存在が
だんだん一人の人間に見えてきます。
(≧∇≦)オオ!夏休みが終わって子どもの成長についてしみじみ考えていたところです!
会社に勤めたり、
社会に出てある固定的な関係が出来たりした後で
転職したときも、同じようなことが起こります。
こちらの組織とあちらの組織を比べたとき
今まで「上司」にしか思えなかった人が
いきなり生身の人間として感じられるようになったりするのです。
(≧∇≦)ウンウン!
今の水瓶座はそんな風に、
外に出て得た体験を通して、
居場所や身内への考え方を変える、という時期にあたっているようです。
親とのケンカも、
「あれこれ文句言わないでよ!」
から、
「私はそういう考え方って、スジが通らないと思う」
というスジに変わっていくのではないでしょうか。
そういう、自分の「子供から大人へ」の変化に即して
家族関係も変化していきます。
うちの場合私がだいぶ「ママらしく」なってきた気がしてなりません(笑)
外に出て培う人間関係は、
水瓶座の場合、非常にゆたかで、愛に満ちたモノです。
ここで得た「知恵」は、
家に持ち帰っても、きっと
すばらしい恵みとなるはずだと思うのです。
いまは家族で秋の読書週間&料理実習ちうでーす!
ゆかりさんいつもありがとぉ(≧∇≦)/〜
(あたしの秋の恋愛運はどうなの・・・(≧∇≦)?)
私ね、昔、犬の品評会というのを見にいったことがあるの。
あれってただ毛並みがイイとか、親がいい血筋だとかそういうことだけじゃないんですね。
ちゃんとステージの上に上がって、ポーズ(?)とれるかどうかで点数がありました。
ブリーダーさんたちはかなり必死に犬をしつけてその日に備えている、そんな感じでした。
私ね、最近の子育てにどうもブリーダーチックなものを感じてならないんです。
「お行儀のいい子どもを育てている私は、素晴らしいママ。」とか「子どもをお行儀よく“育てなければ”」とかそんな考え方が渦巻いている気がするのです。
母親としての能力を「くらべっこ」している気がしてならないのです。
成績のいい子とそうでない子がいるように、母親にだってそりゃあできのいいのとそうでないのがいると思う(もちろん私はできの悪いほう)。だけど近頃はだいぶ子ども達のほうはそんなことで友達を差別したりしなくなっているように思います。差別しているのは母親たち。ほんとうに小さなことでくらべあっていて、あまりそれは私は好きではないのでした。
というか私は子どもの成績の良さ以外ではたいてい誹られるほうです。
私ゃどうも私が気の毒です。
子どもの成績がいいのは決して母親の教育がいいわけではなく
「お父さんの遺伝なのねぇ〜」で終わりです(あたしの血も半分入ってるのにー)。
しかし子どものお行儀が悪いと、
「お母さんはいったいどういう育て方をしているのかしら」と言われてしまうのです。
私はモトダンと育児を半分ずつ分担して育ててきたつもりでした。それなのに、子どもの素行の悪さはすべて母親のせいになってしまうのですから、なんというか世の中は不公平ですね。まあ今はシングルマザーなのですべて私の責任です。
私はけっこう子ども達に「地球」とか「平和」とかそんな話をよくしています。子ども達なりにわかっているみたいです。私は水や食べ物を粗末にしているとえらい子ども達を怒ります。そのかわり学校で息子が1年生のときに集団行動がいやで踊りのときに逃げ出したりしていたのですが、そのときに叱ったりはしませんでした。むしろセンセイに「本人がいやがってるようなのでムリにやらせなくてもいいんじゃないでしょうか」と言ってしまいました。
子育てに何を優先するかが何かもしかしたら人とズレているのかもしれないなあ。そんな気がする自分なのでした。。。