どう育てても。
子どももろくに育てずに、弁護士の仕事に夢中になっている女と、7歳の知能しかないけれどシングルファーザーとして懸命に養育権を勝ち取ろうとしている男とが描かれている。
いくら金があっても地位があっても子どもをろくに育てることができなければ当然世間は責める。この映画の場合、子どもと向き合う男こそが素晴らしく、そして子どもに目もくれない女弁護士こそが間違っているということのように描かれていた。気がする(記憶不確か)
対してこちらに女流作家岡本かの子さんに育てられたあの有名な岡本太郎さんのエッセイがある。かの子さんは(多少おおげさに書かれてるのかもしれないけど)泣き叫ぶ太郎さんを柱に縛り付けてもなお創作に没頭した。太郎さんの食べ物も着る物も構う余裕などないほどに、小説にうちこんだ。世間は当然かの子さんを責めた。何度も何度も彼女は泣いて家に帰ってきたという。
しかし岡本太郎さんは大芸術家となった。
そして岡本太郎さんはお母さんが大好きだった。
子どももろくに育てずケータイ小説に打ち込んでいる私は、しばしば「育児能力のなさ」を指摘される。確かにうちの子は礼儀もマナーもなってない。クソガキの部類にはいるだろう。なれなれしいし騒々しいし、人によっては小汚いと言うかもしれない。実際育て方をけなされ、世間で白い目で見られ、何度泣いたかわからない。でも泣いたところで絶対的に育児時間はひとさまより少ない。そして仕事を私はしたい。
昔とある人が言ってくれた言葉が私の心にはずっと灯っている。
子どもは母親の背中を見て育つ。
「お母さんが必死で働いて自分を養ってくれていることを、子どもはちゃんとわかってるよ。」
「好きな仕事に生きているという姿を子どもに見せるのはいいことだよ……」
子ども達が今何を感じているかはわからない。
わからないけれど、明日からの新学期のために、子ども達の上履きに名前を描くついでに、可愛いイラストなんぞをかきくわえたりしてみる、夏休み最後の夜なのでした。