自殺から他殺の時代へ。
佐世保カッター殺人の犠牲者御手洗怜美さんのお父さんの手記が発表されました。
奥さんも亡くし、お子さんも亡くし、なんて励ましたらいいのかもわからないです。
ただ思ったこと。
子どもが毎日、バタバタ生きている私のまわりを跳ね回っていて、いつもうるさいよなんて怒鳴りつけて、母子家庭なのをいいことに「さっさとオフロ洗っていれてくれなきゃ入れないじゃないよ、何時だと思ってるのよ」とコキつかい……。娘も自分でこぼした食べ物は自分で後始末やふきそうじをさせ……。
……でもほんとのところは。
子どもがわあわあ騒いで家中をひっかきまわしている。
そのことがとっても幸せなんだということ。
私は今、自分のこどもたちをうんと愛して、彼らの魂をうんとうんと幸せでいっぱいにしてあげたいってこと。
それを、とっても感じました。
御手洗さんのお父さんは新聞社の支局長だそうです。
大変な忙しさのなか、父子家庭としてお子さんのお世話、ほんとうにどんなにか大変だったことと思います。
でもその大変さがきっととっても生き甲斐だったのに。
なんだかもう、もらい泣きしちゃいました。
どうしてこの幸せが奪われなくちゃならなかったんでしょう。
どこぞの国では学校に行くと銃の乱射などがあって恐ろしいからということで、お金持ちのご子息はみなさん家庭教師やインターネットによるホームスクールで学習するようになってきているといいます。日本でもホームスクールが急増しているようですがこれは不登校が原因であるのがほとんどでしょうけれど。これからは「子どもを殺されないために」学校に行かせない親が出てきてもおかしくないかもしれません。
「学校に殺される」というような遺書を書いて、子ども達が自殺していった時代がありました。1985年から1986年にかけて。そう、岡田有希子が自殺したあの自殺連鎖の時代です。尾崎豊の「卒業」が売れていたあの頃です。
あの頃は学校による圧迫感がいやでいやで、かといって不登校になりたくともフリースクールも充実しておらず、死ぬしかなかった子ども達が大勢いました。
「花を飾ってくださるのなら」(尾山奈々著・保坂展人編)
という本を読んだそのときは私は中3で、これが初めて買った千円以上の本でした。そう私も尾崎大好きで学校がダイキライな女の子だったのです。この本は中3の彼女が自殺するまでを綴った学校教育への恨みつらみの日記でした。自殺こそが彼女達の最大の抵抗でした。
でも。
今の学校はあの頃より明らかに違ってきています。
うまく口にだせないような不気味さが明らかにあります。
作家の私ですらうまく書けないようなブキミさが……。
自殺ではなく他殺の時代になっていることの恐怖を、ひしひしと感じます。
人を殺すということで、子ども達は何を訴えようとしているのでしょうか。
私も正直「うちの子は絶対、人を殺さない」なんて断言できないんです。ほんと、どうしたらいいのかなって、最近毎日考えます。ママはママなりに真剣にオシゴトしていくしかないです。結局は。
![]() | 花を飾ってくださるのなら—奈々十五歳の遺書 尾山 奈々 , 保坂 展人 |
The comments to this entry are closed.
Comments